■仏縁とは不思議なものです。
■一介のサラリーマンだった私が、ここにこうして鍼灸院を構えているというのはとても不思議な感慨があります。
■開業前から大きなお力添えを頂いたのが中医臨床センター、センター長の齋藤先生(現 鍼灸らせん堂 院長)です。
■はじめは、恩師齋藤先生のお供にて、千葉県は市川市、中山にある日蓮宗総本山正中山遠壽院荒行堂にて、毎年11月1日から100日間行われている「寒百日大荒行」に平成27年・28年・29年にうかがわせていただき、鍼灸師として大きな経験を積ませていただきました。
■また平成27年に免許を取得した私は、鎌田剛先生(中医学研究所、主任研究員、中医鍼灸研修センター長)の主催されている、「中医鍼灸臨床研修」に参加し、一年間の研修を終えました。
■齋藤先生のご指導で、舞浜クラブ(千葉県浦安市)にて、認知症のための鍼灸を研修させていただきました。まだ免許を取ったばかりで、足手まといだったと思います。思い出すこと、赤面の至りです。
■そしてH29年に、「知徳庵」を開業することが出来ました。
※中医臨床センター:東京都大田区にある、学校法人後藤学園/東京衛生学園専門学校の鍼灸治療施設。
中国医学に基づく針灸治療を研修する施設として、各地から鍼灸師が集まって来ていた。
学校法人後藤学園 東京衛生学園の施設は平成29年3月に閉院。
【 不 思 議 な 体 験 】
■サラリーマン時代から、不思議なことは身の回りに少なくなかったように思います。
当時は「モーレツ社員」などともてはやされた時代で、落ち着いて考えることなどできなかったのだと思います。
■思い返すと、1977年の8月。真夜中のことです。
大阪四天王寺の西門で手を合わせておりました。
目の前のお大師さま(空海さま)の立像がみるみる巨大化したのです・・・!!
同時に、私の体からは、光があふれだして、意識は雲を突き抜けて天まで伸びていきました。
あれはなんだったのか。
まだサラリーマンをしていた時分です。
■1978年の8月。
奈良と三重の県境にある「大台ケ原」でのことです。
サラリーマンだった私は、休暇を使って2泊3日の「修行」を試みました。
ただ一人、一匙の味噌だけで過ごしました。
2日目の夜、登山者がいなくなった真夜中の展望台で、
夜空に超巨大な天の川が出現したのです。
そして迎えた3日目の朝は、下山中に、仏画のような見事な雲海が広がりました。
まるで夢の中のような光景でした。
心の中に感謝の気持ちがあふれたのを覚えています。
このような体験をしたあと、私はお寺で般若心経を唱えていると、いつも仏像やお堂が黄金に輝き、
その光が体の中に入ってくるのを感じるようになりました。
■現在 私は、朝夕に靖国神社で戦没者の方々のご冥福と患者様のご健康をお願い申し上げることを日課にしております。
特に帰宅時にはあたりも静まり返り、大村益次郎の立像を背に、
本殿向かって「大自然のお力を賜りますように、必ず患者様の治療にお役立ていたします」と大声でお願い申し上げています。
そうすると、合掌した両手が黄金に輝き、周囲も一斉に輝き出して明るくなるのです。
誠に不思議な・・・・澤山知徳の世界(知徳ワールド)です。
帰宅後は空海様に大阪四天王寺様にお礼を述べ、
ご先祖様、亡き父母、妻知代に1日の報告をして、般若心経、観音経を唱えて1日が終わります。
合掌